🏢ビジネスマンの居場所戦略

慶應からベンチャーに行った理由——同期がタクシーで来た結婚式の話

2026-04-05

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ベンチャー年収キャリア慶應就職後悔実体験
慶應からベンチャーへ
慶應からベンチャーへ

同期はタクシーで来た。僕は電車だった。

大学の同期の結婚式だった。

会場に着くと、外資系に行った同期がタクシーから降りてきた。スーツもきれいで、余裕がある。別の同期も、みんなが知っている有名企業の名刺を持っている。

僕は電車で来た。

「どこで働いてるの?」と聞かれて、会社名を言う。誰も知らない。婚活の会社だ。「ああ、出会い系みたいなやつ?」と返される。

帰りの電車で、なんとも言えない気持ちになった。

悔しいのか、恥ずかしいのか、よくわからない。ただ、自分だけ違う場所にいる感覚がずっと残った。

これが、僕がベンチャーで年収400万だった頃の話だ。

「人と同じことをしたくない」が全ての始まり

僕は奈良の中高一貫の進学校出身だ。

周りはみんな関西の大学を目指す。京大、阪大、神大、関関同立。進路面談でもそのあたりの名前しか出てこない。

でも僕は、みんなと同じところが嫌だった。

関西ではほとんど知られていない一橋大学を志望した。「なんでそこ?」と言われた。理由は単純で、周りと違うことがしたかっただけだ。

この「人と同じことをしたくない」という性格が、この先の全ての選択に影響していく。

一橋に落ちた。慶應に自信がなかった。

浪人して一橋を受けた。落ちた。

結局、慶應義塾大学の商学部に進んだ。でも正直に言うと、行きたくて行ったわけじゃない。

だから大学に対して自信がなかった。

慶應の同級生は塾講師や家庭教師をやっていた。時給もいいし、慶應ブランドを活かした「いいバイト」だ。でも僕は、そういう人たちを見て思った。

「なんか現場感がない」「ちょっと偉そうだな」と。

一橋に落ちた自分が、慶應の看板を使ってバイトする気にはなれなかった。

コンビニの夜勤を選んだ。

レジ、品出し、清掃、発注。できることが増えるのが楽しかった。夜勤明けに帰ってきて寝て、また夜勤に行く。気づいたら学校に行かなくなっていた。

バックパッカー2年。周りと完全にズレた。

学校にはほとんど行かなくなった。夜勤とバイトに熱中していた。

大学時代にバックパッカーを始めた。

項目内容
旅した国約20カ国
期間約2年間
行った場所南極を含む

宗教も文化も全く違う人たちと出会った。英語もろくにできない状態で、体当たりで旅をした。

この経験で何か劇的に変わったかと言うと、正直わからない。ただ、世界にはいろんな人がいるということを「裸で感じた」という感覚だけが残った。

同時に気づいたこともある。自分は人見知りだということ。周りと積極的に交流するのが得意じゃないということ。

周りの慶應生はインターンや留学をしていた。僕はコンビニ夜勤をしながらバックパッカーをしていた。完全にズレていた。

就活の判断軸:「若手に仕事が回ってくるか」

大学3年になって、やっと就活を始めた。

すでに社会人になっていた同期に話を聞いた。すると、口を揃えてこう言う。

「若手にはあまり仕事が回ってこない」

大手に行った同期は、入社して数年経っても研修やサポート業務ばかり。自分で意思決定できる仕事がない。

僕はそれが嫌だった。コンビニ夜勤で「自分でやれることが増える楽しさ」を知っていたからだと思う。

だからベンチャーに行こうと決めた。

婚活ベンチャー入社。「出会い系でしょ?」と言われた日々

見つけたのは、当時上場したばかりの婚活ベンチャーだった。

項目内容
業種婚活サービス
上場JASDAQ
慶應からの入社者ゼロ

婚活の会社だ。当時はまだ「婚活」という言葉自体がそこまで一般的じゃなかった。周りからは「出会い系の会社でしょ?」と言われた。

でも社長が広告でこう言っていた。

3年は務めてくれ。3年でどこに行っても活躍できる人間にする。

この言葉に賭けた。

慶應からこの会社に行く人は一人もいなかった。それも決め手だった。人と同じことをしても意味がない。

年収400万の生活

入社して最初の年収は400万円だった。

正直に言うと、それが高いのか安いのかもわからなかった。社会人1年目で年収を比較する感覚がなかった。家賃は会社の寮だったし、生活はできていた。

でも振り返ると、400万円という数字はこういうことだ。

項目金額(概算)
月収(手取り)約22万円
家賃(寮)数万円
自由に使えるお金多くはない

贅沢はできない。タクシーには乗れない。飲み会も選ぶ。

でも当時の僕は給料のことをほとんど考えていなかった。考えていたのは、「この仕事で成長できているか」だけだった。

タクシー事件——あの帰り道の電車

そんな僕の意識が変わったのが、冒頭の結婚式だった。

会場で久しぶりに会った同期たちは、外資系、大手メーカー、金融機関。名前を言えば誰でも知っている会社にいる。スーツの質が違う。靴が違う。時計が違う。

そしてタクシーで来ている。

僕は電車で来て、電車で帰った。

別に電車が恥ずかしいわけじゃない。でも、同期との「何かの差」を突きつけられた気がした。年収なのか、会社の知名度なのか、社会的な立ち位置なのか。

帰りの電車の中で、ぼんやり考えた。

「自分の選択は間違ってたのか?」

ベンチャーを選んだこと。婚活の会社に行ったこと。人と違うことをしたかっただけの自分。その選択が本当に正しかったのか、わからなくなった。

それでも朝4時起きを続けた

でも、翌朝も僕は4時に起きた。

婚活ベンチャーの3年目、会社が新宿に移転した。僕は東中野に住んでいた。

毎朝4時に起きて、中野坂上のファミレスに行く。2〜3時間、Webマーケティングの勉強をする。その後、新宿の会社まで歩いて通勤する。帰りも歩く。

項目内容
起床時間朝4時
勉強場所中野坂上のファミレス
勉強時間2〜3時間/日
通勤東中野→新宿を徒歩
継続期間約1年半

これを1年半続けた。

結婚式の帰りに感じた「なんとも言えない気持ち」は消えなかった。でも、だからこそ勉強した。

「今の自分には広告運用しかない」という危機感があった。この会社を出た時に、何ができる人間になっているか。社長は「3年でどこでも活躍できる人間にする」と言っていた。でも、それは会社が勝手にしてくれることじゃない。自分でやるしかない。

ベンチャーの経験がどう活きたか

婚活ベンチャーには3年半いて辞めた。

その後のキャリアを簡単にまとめる。

順番会社年収
1社目婚活ベンチャー400万円
2社目暗闘フィットネスベンチャー450万円
3社目大手通信会社670万円
4社目大手小売グループ860万円
5社目大手損害保険会社1,200万円

年収400万円は、1,400万円(副業含む)になった。3.5倍だ。

婚活ベンチャーで身につけた広告運用のスキルは、2社目で「プロが来ると全然違う」と評価された。ベンチャーで鍛えられた「自分で考えて動く力」は、大手企業に移ってからこそ武器になった。

ベンチャーの3年半は、無駄じゃなかった。むしろ、あの3年半がなかったら今の年収はない。

詳しいキャリアの話は[別の記事](/career/career-story)に書いているので、気になる方はそちらも読んでほしい。

ベンチャーで年収に不安を感じているあなたへ

もしあなたが今、ベンチャーにいて年収が低くて不安なら。

同期と比べて惨めな気持ちになるなら。

「この選択は間違いだったのか」と夜に考えてしまうなら。

その気持ちは、僕もよく知っている。

結婚式の帰りの電車で、僕も同じことを考えていた。

でも一つだけ言えるのは、ベンチャーでの経験は「次の場所」で必ず武器になるということだ。大手企業では何年もかかる経験を、ベンチャーでは1〜2年で積める。そのスキルを持って環境を変えれば、年収は後からついてくる。

大事なのは、今いる場所で何を身につけているかだ。

僕は朝4時に起きてファミレスで勉強した。それがベストな方法だったかはわからない。でも、「広告運用しかできない自分」を変えたかった。

あの結婚式の夜、惨めだと感じた自分がいたから、今がある。

だから、今つらいなら、それでいい。その気持ちを燃料にして、目の前のことに集中してほしい。

3年後、あなたの年収は今と全然違う数字になっているかもしれない。

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