
同期はタクシーで来た。僕は電車だった。
大学の同期の結婚式だった。
会場に着くと、外資系に行った同期がタクシーから降りてきた。スーツもきれいで、余裕がある。別の同期も、みんなが知っている有名企業の名刺を持っている。
僕は電車で来た。
「どこで働いてるの?」と聞かれて、会社名を言う。誰も知らない。婚活の会社だ。「ああ、出会い系みたいなやつ?」と返される。
帰りの電車で、なんとも言えない気持ちになった。
悔しいのか、恥ずかしいのか、よくわからない。ただ、自分だけ違う場所にいる感覚がずっと残った。
これが、僕がベンチャーで年収400万だった頃の話だ。
「人と同じことをしたくない」が全ての始まり
僕は奈良の中高一貫の進学校出身だ。
周りはみんな関西の大学を目指す。京大、阪大、神大、関関同立。進路面談でもそのあたりの名前しか出てこない。
でも僕は、みんなと同じところが嫌だった。
関西ではほとんど知られていない一橋大学を志望した。「なんでそこ?」と言われた。理由は単純で、周りと違うことがしたかっただけだ。
この「人と同じことをしたくない」という性格が、この先の全ての選択に影響していく。
一橋に落ちた。慶應に自信がなかった。
浪人して一橋を受けた。落ちた。
結局、慶應義塾大学の商学部に進んだ。でも正直に言うと、行きたくて行ったわけじゃない。
だから大学に対して自信がなかった。
慶應の同級生は塾講師や家庭教師をやっていた。時給もいいし、慶應ブランドを活かした「いいバイト」だ。でも僕は、そういう人たちを見て思った。
「なんか現場感がない」「ちょっと偉そうだな」と。
一橋に落ちた自分が、慶應の看板を使ってバイトする気にはなれなかった。
コンビニの夜勤を選んだ。
レジ、品出し、清掃、発注。できることが増えるのが楽しかった。夜勤明けに帰ってきて寝て、また夜勤に行く。気づいたら学校に行かなくなっていた。
バックパッカー2年。周りと完全にズレた。
学校にはほとんど行かなくなった。夜勤とバイトに熱中していた。
大学時代にバックパッカーを始めた。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 旅した国 | 約20カ国 |
| 期間 | 約2年間 |
| 行った場所 | 南極を含む |
宗教も文化も全く違う人たちと出会った。英語もろくにできない状態で、体当たりで旅をした。
この経験で何か劇的に変わったかと言うと、正直わからない。ただ、世界にはいろんな人がいるということを「裸で感じた」という感覚だけが残った。
同時に気づいたこともある。自分は人見知りだということ。周りと積極的に交流するのが得意じゃないということ。
周りの慶應生はインターンや留学をしていた。僕はコンビニ夜勤をしながらバックパッカーをしていた。完全にズレていた。
就活の判断軸:「若手に仕事が回ってくるか」
大学3年になって、やっと就活を始めた。
すでに社会人になっていた同期に話を聞いた。すると、口を揃えてこう言う。
「若手にはあまり仕事が回ってこない」
大手に行った同期は、入社して数年経っても研修やサポート業務ばかり。自分で意思決定できる仕事がない。
僕はそれが嫌だった。コンビニ夜勤で「自分でやれることが増える楽しさ」を知っていたからだと思う。
だからベンチャーに行こうと決めた。
婚活ベンチャー入社。「出会い系でしょ?」と言われた日々
見つけたのは、当時上場したばかりの婚活ベンチャーだった。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 業種 | 婚活サービス |
| 上場 | JASDAQ |
| 慶應からの入社者 | ゼロ |
婚活の会社だ。当時はまだ「婚活」という言葉自体がそこまで一般的じゃなかった。周りからは「出会い系の会社でしょ?」と言われた。
でも社長が広告でこう言っていた。
3年は務めてくれ。3年でどこに行っても活躍できる人間にする。
この言葉に賭けた。
慶應からこの会社に行く人は一人もいなかった。それも決め手だった。人と同じことをしても意味がない。
年収400万の生活
入社して最初の年収は400万円だった。
正直に言うと、それが高いのか安いのかもわからなかった。社会人1年目で年収を比較する感覚がなかった。家賃は会社の寮だったし、生活はできていた。
でも振り返ると、400万円という数字はこういうことだ。
| 項目 | 金額(概算) |
|---|---|
| 月収(手取り) | 約22万円 |
| 家賃(寮) | 数万円 |
| 自由に使えるお金 | 多くはない |
贅沢はできない。タクシーには乗れない。飲み会も選ぶ。
でも当時の僕は給料のことをほとんど考えていなかった。考えていたのは、「この仕事で成長できているか」だけだった。
タクシー事件——あの帰り道の電車
そんな僕の意識が変わったのが、冒頭の結婚式だった。
会場で久しぶりに会った同期たちは、外資系、大手メーカー、金融機関。名前を言えば誰でも知っている会社にいる。スーツの質が違う。靴が違う。時計が違う。
そしてタクシーで来ている。
僕は電車で来て、電車で帰った。
別に電車が恥ずかしいわけじゃない。でも、同期との「何かの差」を突きつけられた気がした。年収なのか、会社の知名度なのか、社会的な立ち位置なのか。
帰りの電車の中で、ぼんやり考えた。
「自分の選択は間違ってたのか?」
ベンチャーを選んだこと。婚活の会社に行ったこと。人と違うことをしたかっただけの自分。その選択が本当に正しかったのか、わからなくなった。
それでも朝4時起きを続けた
でも、翌朝も僕は4時に起きた。
婚活ベンチャーの3年目、会社が新宿に移転した。僕は東中野に住んでいた。
毎朝4時に起きて、中野坂上のファミレスに行く。2〜3時間、Webマーケティングの勉強をする。その後、新宿の会社まで歩いて通勤する。帰りも歩く。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 起床時間 | 朝4時 |
| 勉強場所 | 中野坂上のファミレス |
| 勉強時間 | 2〜3時間/日 |
| 通勤 | 東中野→新宿を徒歩 |
| 継続期間 | 約1年半 |
これを1年半続けた。
結婚式の帰りに感じた「なんとも言えない気持ち」は消えなかった。でも、だからこそ勉強した。
「今の自分には広告運用しかない」という危機感があった。この会社を出た時に、何ができる人間になっているか。社長は「3年でどこでも活躍できる人間にする」と言っていた。でも、それは会社が勝手にしてくれることじゃない。自分でやるしかない。
ベンチャーの経験がどう活きたか
婚活ベンチャーには3年半いて辞めた。
その後のキャリアを簡単にまとめる。
| 順番 | 会社 | 年収 |
|---|---|---|
| 1社目 | 婚活ベンチャー | 400万円 |
| 2社目 | 暗闘フィットネスベンチャー | 450万円 |
| 3社目 | 大手通信会社 | 670万円 |
| 4社目 | 大手小売グループ | 860万円 |
| 5社目 | 大手損害保険会社 | 1,200万円 |
年収400万円は、1,400万円(副業含む)になった。3.5倍だ。
婚活ベンチャーで身につけた広告運用のスキルは、2社目で「プロが来ると全然違う」と評価された。ベンチャーで鍛えられた「自分で考えて動く力」は、大手企業に移ってからこそ武器になった。
ベンチャーの3年半は、無駄じゃなかった。むしろ、あの3年半がなかったら今の年収はない。
詳しいキャリアの話は[別の記事](/career/career-story)に書いているので、気になる方はそちらも読んでほしい。
ベンチャーで年収に不安を感じているあなたへ
もしあなたが今、ベンチャーにいて年収が低くて不安なら。
同期と比べて惨めな気持ちになるなら。
「この選択は間違いだったのか」と夜に考えてしまうなら。
その気持ちは、僕もよく知っている。
結婚式の帰りの電車で、僕も同じことを考えていた。
でも一つだけ言えるのは、ベンチャーでの経験は「次の場所」で必ず武器になるということだ。大手企業では何年もかかる経験を、ベンチャーでは1〜2年で積める。そのスキルを持って環境を変えれば、年収は後からついてくる。
大事なのは、今いる場所で何を身につけているかだ。
僕は朝4時に起きてファミレスで勉強した。それがベストな方法だったかはわからない。でも、「広告運用しかできない自分」を変えたかった。
あの結婚式の夜、惨めだと感じた自分がいたから、今がある。
だから、今つらいなら、それでいい。その気持ちを燃料にして、目の前のことに集中してほしい。
3年後、あなたの年収は今と全然違う数字になっているかもしれない。
Recommended
