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2億円のプロジェクションマッピングを一人で見た夜——コロナで全てが消えた日の話

2026-04-05

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プロジェクションマッピング
プロジェクションマッピング

2020年3月25日、新宿

3月の夜風はまだ冷たかった。

新宿南口。普段なら人でごった返すこのエリアが、その夜はやけに静かだった。コロナの影響で、街から人が消えかけていた頃だ。

僕は通信会社のタワービルを見上げていた。

巨大なビルの壁面に、光が映し出されている。色鮮やかな映像が、誰もいない夜の新宿に浮かんでいた。

2億円のプロジェクションマッピング。

それを見ているのは、僕一人だった。

このプロジェクトが何だったのか

僕が勤めていた通信会社は東京オリンピック聖火リレーのスポンサーだった。

2020年の夏、東京でオリンピックが開かれる。その聖火リレーが始まる日に合わせて、新宿南口の通信会社のタワービルにプロジェクションマッピングを投影する。3日間にわたって、オリンピックを盛り上げる映像を街に届ける。

予算は2億円。

大手通信会社の広告ビジネス担当として、僕はこのプロジェクトを任された。

当時の僕は、ベンチャー2社を経てこの会社に入ったばかり。大手通信会社と大手広告代理店の合弁で立ち上げたデジタルOOH広告会社にも関わっていた時期で、社内ではまだ「使えるやつ」として見てもらえていた。

2億円。

前職のフィットネスベンチャーは全社で40店舗の暗闇フィットネスの会社だ。その前の婚活ベンチャーでは800万のプロジェクトで執行役員に圧をかけられて震えていた。

桁が違う。世界が違う。

でも、やるしかなかった。

ベンチャー出身の僕が、なぜ2億円を任されたのか

正直に言えば、僕にそれだけの実績があったわけじゃない。

ただ、この会社には「この手の泥臭い調整を一人でやり切れる人間」がそう多くなかった。大企業には優秀な人がたくさんいる。でも、関係各所に頭を下げて回り、条例の壁を突破し、異なる利害を持つ組織を一つひとつ説得していく——そういう「現場で体当たりする仕事」は、ベンチャーで揉まれてきた僕の方が向いていたのかもしれない。

上司から「これやってくれ」と言われた。

二つ返事で引き受けた。

調整の地獄

プロジェクションマッピングをビルに映す。

言葉にすると簡単だけど、新宿のど真ん中でそれをやるのは尋常じゃなかった。

まず、屋外広告物条例。東京都にはビルの壁面に映像を投影することに関する厳格な規制がある。通常の手続きでは間に合わない。特例措置が必要だった。

僕は東京都議会に掛け合った。

ベンチャー出身の30代が、都議会に「条例の特例を認めてください」と頼みに行く。想像してほしい。場違い感がすごい。でも行くしかない。

次に、東京都との交渉。都議会で話が通っても、行政の実務レベルでの承認がいる。何度も足を運んだ。

それだけじゃない。

新宿南口の通信会社のタワービル周辺には、いくつもの「関係者」がいる。

JR東日本。 駅の利用者に影響が出る可能性がある。許可がいる。

小田急電鉄。 同じく。

高島屋。 商業施設として、周辺環境への影響を気にする。説明と許可が必要。

消防署。 大規模な屋外イベントに準ずる届出が必要。

警察署。 人が集まる可能性がある。道路使用に関する届出。

これらを、全部一人でやった。

一つの許可を取るのに何回も通う。担当者が変わる。書類を直す。また通う。別の部署に回される。最初から説明し直す。

地獄だった。

でも、楽しかった。

ベンチャーで身につけた「とにかく自分で動く」という筋肉が、ここで全部活きた。大企業の看板を背負って動く怖さもあったけど、婚活ベンチャーで800万に震えていた頃の自分と比べたら、少しは成長していたんだと思う。

全ての許可が揃った日

何ヶ月もかけて、一つずつ。

都議会の特例承認。東京都の許可。JRの了承。小田急の了承。高島屋の了承。消防署の届出受理。警察署の届出受理。

全部揃った。

あの日の達成感は、今でも覚えている。

誰かに「すごいね」と言ってもらいたかったわけじゃない。ただ、自分で全部やり切ったという事実が、体の中にずしんと来た。

あとは聖火リレーの日を待つだけだった。

2億円の映像は完成していた。通信会社のタワービルの壁面を彩る準備は整っていた。東京オリンピックが始まる。聖火が走る。そして通信会社のタワービルが光る。

そのはずだった。

2020年3月25日——全てが止まった

小池百合子都知事が記者会見を開いた。

コロナウイルスの感染拡大を受けて、東京都としての対応を発表する。外出自粛の要請。イベントの中止。

聖火リレーの延期。

テレビの画面を見ながら、僕は理解した。

聖火リレーがなくなるということは、僕のプロジェクトもなくなるということだ。

2億円。何ヶ月もの調整。都議会への陳情。JR、小田急、高島屋、消防、警察。全部。

全部、なくなった。

頭では分かっていた。コロナの状況を見ていれば、いつかこうなることは想像できた。でも、実際にその瞬間が来ると、思考が一瞬止まる。

怒りはなかった。悲しみとも違う。

ただ、静かに、止まった。

「せっかくだから、見よう」

映像はもう完成していた。

投影のテストも終わっていた。技術的には、ボタン一つで通信会社のタワービルに映像を映し出せる状態だった。

「せっかくだから、見よう。」

僕はそう思った。

2億円かけて作った映像。何ヶ月も走り回って実現にこぎつけた企画。一般公開されることはもうない。でも、映像はそこにある。

見届ける義務が、僕にはある気がした。

一人で見上げた2億円

夜の新宿南口。

人通りはほとんどない。2020年3月末の東京は、すでに街が沈んでいた。飲食店の灯りもまばらで、普段の新宿とは別の街のようだった。

通信会社のタワービルの壁面に、光が走った。

鮮やかな色彩がビルを包んでいく。オリンピックを祝うはずだった映像が、誰もいない新宿の夜空に広がっていく。

美しかった。

本当に、美しかった。

でも、この映像を見ているのは僕だけだ。

新宿を行き交う何万人もの人に見てもらうはずだった光。SNSで拡散されて、「すごい」「きれい」と言ってもらえるはずだった光。オリンピックの熱気と一緒に、街を彩るはずだった光。

それが今、僕一人のためだけに光っている。

贅沢だと思った。同時に、途方もなく虚しかった。

冷たい風が吹いていた。3月の新宿の夜風は、まだコートがないと寒い。

僕はしばらく、ただ見上げていた。

やり切った。でも虚しかった。

不思議なことに、「悔しい」とは思わなかった。

「しょうがない」。

心の底からそう思えた。

コロナは僕のせいじゃない。オリンピックの延期は僕にはどうしようもない。都知事の判断に文句を言っても意味がない。

コントロールできないことに対して、怒っても仕方がない。

それよりも、一つの確かな感覚があった。

やり切った、という感覚。

都議会に行った。東京都と交渉した。JRに頭を下げた。小田急に説明した。高島屋に許可をもらった。消防に届け出た。警察に届け出た。全部一人で。全部やり切った。

結果は出なかった。でも、プロセスは完走した。

世の中には、どれだけ努力しても結果が出ないことがある。自分の力ではどうにもならない外部要因で、全てが吹き飛ぶことがある。

でも、やり切ったという事実は消えない。

それだけは、誰にも奪えない。

あの夜、一人で通信会社のタワービルを見上げながら、僕はそのことを体で理解した。

この経験が教えてくれたこと

仕事をしていると、コントロールできないことに振り回される場面がたくさんある。

会社の方針が変わる。上司が異動する。予算が削られる。組織が再編される。コロナが来る。

それは、あなたのせいじゃない。

でも、その中で自分がどれだけやり切ったか。どれだけ全力を尽くしたか。それは自分にしか分からないし、自分の中にしか残らない。

2億円のプロジェクトは世に出なかった。僕の実績にはならなかった。履歴書にも書けない。

でもあの夜、一人で見上げた光は、僕の中にまだ残っている。

やり切ったことは、必ず次につながる。

たとえその場では報われなくても。

その後の話

この2億円のプロジェクションマッピングは、僕の大手通信会社時代の前半の仕事だった。この頃はまだ、社内で評価されていた。

でも、この後コロナによる在宅勤務が本格化して、僕のこの会社での日々は一変する。

周りに聞ける人がいない。大企業特有のシステムや作法が分からない。孤立していく。評価が下がっていく。上司から「お前、何もできないな」と言われるようになる。

あの2億円の夜から、わずか数ヶ月後のことだ。

でも、それはまた別の話。


今、仕事で大きなプロジェクトが中止になって途方に暮れている人がいるかもしれない。コロナじゃなくても、会社の都合で、クライアントの都合で、社会の変化で——自分ではどうにもならない理由で、積み上げてきたものが崩れることはある。

その虚しさは、僕にも分かる。

でも一つだけ言えることがある。

やり切ったなら、それでいい。

その経験は、思ってもみない形で、いつか必ず自分を助けてくれる。

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